私の父は平成15年12月に他界しました。父は浅草の呉服店の長男で戦争前はそこそこ裕福に育った人物でした。当時の風習でお客様が家に来た時、うなぎの蒲焼を注文すれば長男だけが父親と食べれたり、黄金バットの紙芝居を駄菓子を買いながら見たとか聞いた記憶があります。父も戦争で両親を亡くし、よくある話で苦労し色々な事情で婚期を逃したのか、私は父が43歳の時の遅い子供でした。私にとっての父親像は無口でおとなしいイメージ。怒られた記憶はあるけど爆発的な注意はなくぶたれた記憶もないような人でした。外見がはげていておじいさんみたいだったので小さい頃は運動会とか親が見に来るのが恥かしく思っていた時期もありますが、私の少年野球の試合や高校野球の試合まで黙って見に来てニコニコ観戦しいつのまにか帰っていった父。母親によると小さい頃2階で兄と私がヤンチャして母の言うことを聞かず、ぶちきれた母が父に怒るよう迫り、しかたなく父が2階のうるさい兄弟をしかりに行ったらいつまでも降りてこない。不審に思った母が2階に覗きにくるとそこには、子供と楽しげに話す父の姿が・・・・・・・。そんな父親でした。
その父との触れ合いでいまだによく覚えているのが父との外食でした。よく行く先の新大久保・十条・東村山市内それぞれに行き付けのお店があってどれもが決まって
「手打ちラーメン屋」・『ロッテリア』・『うなぎ屋』・『そば屋』
注文も決まっていて
「醤油ラーメン』・「アップルパイとバニラシェイク』・『かば重の並』・『もりそば』
その影響かそれらの料理がいまだに私の好物。ちなみに父から聞いたことあるのですが、兄には銀座のドリア(当時は珍しかったと思う)を食べさせるのが愉しみだったようで兄もラーメンよりはグラタン・ドリア・スパゲッティー系がいまだに好きだと思う。
😮 今、3児の父となった私の楽しみも「長女と2人で行くマクドナルド」 😀
🙂 そしてこれからの楽しみは長男が小学校になったら男同士で「久米川の満州の味噌ラーメンと餃子を食べさせること」 😛
😀 そして今年産まれた次女には、どこの店のどの料理を食べさせてあげようかと楽しみにしている今日この頃です。 😀 😀