年末のご挨拶

皆様こんばんは  😀

本日をもって明日より当社も冬期休暇に入ります。

まずもって関係各位には本年も大変お世話になりました。来年も引続きご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します。

今年の不動産市場はリーマンショックの日本不況の流れの中で、3・11震災が発生し企業努力だけではたちうち出来ない状況が続いております。

企業としてはこんな時こそ智恵を絞り、勇気を奮い立たせ前進するか、思い切って何かを切り捨ててじっと我慢するなど来年は色々な選択肢にせまられそうです。

個人としてはこんな時こそ足元をみつめ直し、襟を正して生活していかなければと考えます。

そんな中、先日ベットで来年の生き方を瞑想した時に小学校時代の恩師を思い出しました。私 の自分の人間性を育んでくれたのは、両親や周りの環境もありますが一番は小学校5・6年生の担任だった女性先生だと思います。この女性先生をいつも私は大 げさでなく学生時代から今現在に至るまで何か迷いが生じた時に思い出し、そして教わった道徳心を静観します。 私自信、宗教は入信していないのでチグハグな言い回しになってしまいますが、仮に3・11震災後が日本人に与えられたカルマだとしたら、今こそ一人一人が 愛とか思いやり、協調性、他人の悲しみを感じとる心など・・要は慈悲深い人間性を成長させる必要があるかもしれません。 企業としても人間力開発=社員の成長=顧客満足度=企業の成長に発展していくと思います。

皆様は何かに感動して涙したことはありますか?

私は青年会議所という団体に所属しているのですが、そこで一緒に活動している仲間の大嶋 啓介氏が東村山の地で一般市民も参加できる講演会を開きました。「てっぺんの大嶋啓介氏 」の講演会に参加し人目もおかまいなしに今年初めて涙しました。フラストレーションが爆発してしまったんです。日常かかえているフラストレーション、何かと言えば、同僚社員にもっと熱く仕事に打ち込んでほしい、もっとサラリーマンでなく、会社の上司をおそれず人と してお客様に接して欲しい。それらの思いは私自身の熱さや愛情そして人間力がまだまだ不足していると気づかしてくれたのが大嶋啓介氏でした。そして小学校 の女性先生を同時に思い出し家に帰っても思い出しては目頭を熱くさせておりました。その大嶋啓介氏の講演会の最後に流れたある物語をブログ拝見くださった皆様には是非ご覧いただければ幸いです。もう有名になっているのでご存知かもしれま せんが今年最後に感動の涙を流していただき、心機一転来年お互いに頑張りましょう。一人でも多くの皆様に幸せが降り積もりますよう心よりお祈り申し上げま す。

【招待状 】

ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。先生はどうしてもその少年を好きになれずいつからかその少年を毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。そこにはこう書いてあった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。間違いだ。他の子に違いない。先生はそう思った。

二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。 だめと決めつけていた子が突然、深い悲しみを行き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験 があるから感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕 にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。 「母親の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。先生は嬉しくて涙が止まらなかった。

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